慢性腎臓病症例への投与①
患者様(雑種猫、12歳)は突然の元気食欲の低下や嘔吐があり来院されました。症状、血中の腎機能指標、クレアチニンCREA(3.1 mg/dL, 正常値0.8~2.4)および尿素窒素BUN(49 mg/dL, 正常値16~36)の数値、超音波検査(左腎の重度の萎縮)の結果を総合して慢性腎臓病と診断されました。猫が老齢になるとかなりの頻度で発症する病気です。原因は様々ありますが、腎臓の炎症・ダメージ・萎縮などによって腎臓内部に点在する精密な血液ろ過装置が少しずつ壊れていき、血液中の老廃物を除去する機能が低下していきます。病気が進行してこのろ過機能が大きく失われると確実に命に関わります。一度壊れた腎臓やろ過装置は決して元には戻りません。残っている腎臓の機能を保護・維持できるかが重要です。
飼い主様は患者様と離れたくないとのことで、入院は一切望まれませんでした。腎臓療法食と対症療法により一旦は体調が回復したのですが、1ヶ月後には再び元気食欲がなくなり、血液のCREA(5.8 mg/dL)とBUN(69 mg/dL)が再度上昇、これまでは正常だった右腎(患者様の正常腎臓長径は4.0 cm)まで萎縮が始まったことが確認されました。慢性腎臓病の急性悪化でした。一般的な治療ではもうこれ以上打つ手がなくなってしまいました。
マウスでの基礎研究では、間葉系幹細胞療法は慢性腎臓病の腎臓を保護し、萎縮を抑制する効果が示されていました。そこで、オプションの治療として1,2回ほど間葉系幹細胞の投与(凍結他家、点滴)を行うことを提案し、直ちに飼い主様立ち合いで凍結他家療法を実施しました。すると、2日内には血液の腎臓マーカー数値が正常域に低下し、臨床症状も改善しました。間葉系幹細胞療法が何らか腎臓を保護したものと考えられました。実施後の経過が良好であったので、病態の進行や急変の防止を目的として定期的(およそ1ヶ月に1回)に幹細胞を投与することにしました。投与した間葉系幹細胞が引き続き効果を発揮してくれたためか、3年以上にわたり患者様はとても元気で、病気がそれ以上進むことがありませんでした。しかし、15歳で一時、嘔吐の症状、腎機能数値の上昇がありました。左腎の萎縮がやや進んだ傾向が見られました。対症療法で回復されたのですが、諸事情のため幹細胞療法は継続せず、別の治療に切り替わりました。因果関係はわかりませんが、その後は左腎の萎縮が急激に進み、腎機能が悪化しました。
慢性腎臓病症例への投与②
患者様(ミニチュア・ダックスフンド,16歳齢)は、嘔吐、元気食欲の消失に加えて、ふらつく、倒れる、立てない、頸を傾ける、眼の振動といった神経症状も見られました(1病日目)。検査の結果、腎機能の低下および両腎臓の萎縮が認められ、慢性腎臓病と診断されました。輸液、制吐剤、制酸剤など標準的な治療が行われましたが、数日後には腎機能指標の尿素窒素BUN(正常値7~27 mg/dL)およびクレアチニンCREA(正常値0.6~1.6 mg/dL)が機器の測定上限を超えてしまうまでに腎機能が悪化しました。患者様が高齢でもあり、ベテランの担当獣医師は経験的にこのまま亡くなってしまう可能性を覚悟していました(8病日目)。非常に厳しい状況でしたが、標準治療ではこれ以上打つ手はありませんでした。
それでも、幹細胞治療ならば腎臓保護を期待できる可能性があります。飼い主様に凍結他家幹細胞移植を提示しました。12病日目にまず1回実施しました。それから9日後(21病日目)、ふらつきや嘔吐などの症状は少し残るものの、腎機能や元気食欲の改善が見られました。さらなる体調改善や腎臓の維持・増悪防止を期待して幹細胞治療を継続したところ、より体調が持ち直しました。その後、腎機能数値は比較的高い状態で推移したものの、1年以上飼い主様のもとで元気に過ごすことができました。405病日目に体調不良(原因不詳。慢性的な高尿素窒素血症が一因の可能性)で亡くなられました。
慢性腎臓病症例への投与③
患者様(スコティッシュ・フォールド,11歳齢)は血尿、食欲低下で来院されました。尿検査では尿潜血、尿蛋白、細菌が認められ、血液検査では腎機能の指標である尿素窒素BUN 47 mg/dL(正常値16~36)、クレアチニンCREA 3.2 mg/dL(正常値0.8~2.4)と高い値を示しました。超音波検査で両腎臓において大小多数の嚢胞(液体の詰まった空洞)の存在が見つかりました。高血圧もありました。検査所見を総合して多発性嚢胞腎と診断されました。この病気は遺伝子異常が原因の難病です。この時点ではまだ重篤症状には至っていなかったものの、嚢胞形成により腎臓組織が圧迫されて、やがて腎不全になります。有力な治療はありません※。飼い主様はできる限りの治療を行ってほしいとの要望でした。日本獣医再生医療学会において猫の多発性嚢胞腎へ間葉系幹細胞療法を行って改善が認められたという症例報告があったこと、別項で記したように当院において間葉系幹細胞療法で猫の慢性腎臓病を良好に維持できたことから、本症例の多発性嚢胞腎においても間葉系幹細胞の投与で改善や維持が期待できるのではないかと考えました。そこで飼い主様に提案したところ、是非実施してほしいとのことでした。
対症治療を行いながら、間葉系幹細胞の投与を約1ヵ月間隔で行っていったところ、腎数値は維持、もしくは徐々に改善する傾向があり、7ヵ月の時点でBUNは29 mg/dL、CREAは2.8 mg/dLとなりました。この間、活動性や食欲などQOLは良く、患者様は元気に過ごされました。一方で、腎臓の嚢胞形成については特段改善が見られませんでした。10ヵ月目に突然、腎数値が悪化してしまいました。腎不全に至ったと考えられ、残念ながらそれから1ヵ月後に患者様は亡くなられてしまいました。
この症例の後、多発性嚢胞腎のラットに間葉系幹細胞を投与した研究の論文が初めて発表されました。それによると、間葉系幹細胞の投与は腎臓の弱った血管網を発達させ、腎機能の改善、線維化抑制、高血圧の改善につながるが、嚢胞の数や大きさは改善できないとのことでした。この症例と矛盾しない結果です。これらを考え合わせると、間葉系幹細胞療法は多発性嚢胞腎に対する根本治療にはなりません(病気は解消されていないので、何らかのきっかけで進行してしまう)が、血管網の発達などによって腎機能を側方からサポートすることである程度、患者様の体調・QOLの維持や改善につながるものと考えられます。
※ 最近、人医療では多発性嚢胞腎の薬としてバソプレシンV2-受容体拮抗薬のトルバプタン(腎嚢胞の増殖・増大を抑制する作用。根本的な治療ではなく、病気の進行を抑える)が初めて承認されましたが、犬や猫での効果はまだわかっていません。